20日に幕を開けた今回の企画展、初日の午前に清野画伯のご子息、ご令嬢の方からお花が届き、無彩な男2人が見守る会場が急に華やいだ空気になった。さて、今回の展示内容は、戦後昭和50年代から後の作品の展示である。一つ物足りなさは感じていた。確かに賞をもらったり、ビエンナーレ出展は1960年代からであるが、彼が最も輝いていたもう一つの時期は東京在住の戦前時代の作品ではなかったかと高橋のおじさんに言われてたからである。デッサンもできればほしいと思っていた。しかし、ないものと諦めていたが、最終日の午後、一人の来館者が再び、所有する作品を持ってくてくれたのだった。ガラス入りの額に入った作品は、ガラスに線が複数描かれ、キャンバスの絵画と交錯して見れる感じになっている。詳細は解らない。多分戦前のものだろう。作風が明らかに違う。四角いキャンバスから飛び出して、もっと自由な発想で表現したいとの意志がはっきり表れた、その時代の空気がはっきり読み取れる作品が閉店間際の2時間前にギャラリーの一角に飾られた。来館者全てに見てもらえてかったのは残念であったがシンゴ君と私には、至福の時だった。
今回の来館者、9日間で約220名を超える程度、遠方から来て下さった御嬢さん、お弟子さん、絵画教室の生徒さん、北展の関係者など、清野克巳ゆかりの方がたくさん来訪し、回顧展をゆっくりと見てまわられ素直に喜んでくださった。それが第一の収穫。こんな人が上山にいたんだと作品と経歴を見ながら驚かれていた人々。勿論、アートを愛する人たちは来て下さった。多くの部数を配った旅館の宿泊客、学校、また、市議会議員の方々に興味をもたれなかったのは残念。会場となったこのギャラリーの知名度はまだまだなんだなーとも感じた企画展であった。会期中張り付いてくれた委員のシンゴ君。お疲れー。
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