拾い集めていた梅を丹念に洗い、塩をまぶし容器に仕込み梅干つくりの第1段が終えたので、夕刻を見計らい、お祭りのお呼ばれでこまっちゃんちに向かった。15日は石崎神社のお祭り。途中立ち寄る。長い階段を登り神社に辿りつき、お参りを終える。途中で消防団のひろかず君とこまっちゃんの息子さんにも会う。階段周辺で警備のようだ。お護符は渡してくれたのは、子供会のハッピを着たお母さんたち.珍しくおカグラも携えてた地区の人もいた。この時期のお祭りは他になく、両脇の露店商の並ぶ間を大勢の人々が行き交う。雨降りがこのお祭りの定番となっているが、夕方には空は明るくなっていた。
明治10年、横浜に降り立ち、そこから北へ向かう紀行文を書いた英国人女性イザベラ・バードが、上山にも宿泊し、この地で見たお祭りはここであることは定説となっている。
・・・・今はお祭りの最中で、どの家にも提灯や旗が出してある。群集は神社に境内にあふれている。神社のいくつかは丘の上にある。上ノ山は清潔で空気がからりとしたところである。美しい宿屋が高いところにあり、楽しげな家々には庭園があり、丘を越える散歩道がたくさんある。ここは日本でもっとも空気がからりとしているところの一つだと言われている。もしここに外国人の容易に来られる場所であったら、美しい景色を味わいながら各方面にここから遠足もできるから、彼らにとっては健康的な保養地となるであろう。・・・・「日本奥地紀行」より抜粋。
その他のこともとても良い印象で書いてある。関係者が読んだら涙を流して喜ぶような褒めちぎりの文を寄せている。市がすすめるクワオルトの事業を予言するような文面でもある。なぜ、彼女が未知の場所を選んで旅を続けたかは不思議に思えるが、20世紀初頭に、ヨーロッパを中心にラッフルズホテルに見られるような東方嗜好があったのでないかと思われる。私の大好きな映画「シェルタリングスカイ」も同時代かと思ったら、これはずっと後だった。当時の日本は外国人女性がお供を引き連れているとはいへ安全に旅ができる程に治安はすこぶる安定していたことにはちょっと驚きだ。
夜の十時を過ぎておいとまし、通りに出ると露店はあとかたもなく消えていた。一緒に帰るケンちゃんは足元がおぼつかなく、大蛇行の千鳥足だった。と思いきや私のカメラも泳いでた。
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