武家屋敷のワークショップが行われ、三輪家で説明を受ける。つい1週間程前に隣の現場員と一緒に見学してたので、違う視点でなんか面白いものはないかと中に視線を負う。程良い調度品、衝立、重厚な金庫など、SEIKOSYAの柱時計や、江戸時代の枕、土間に掘った米を突く穴等はやはり面白い。が、思わぬ発見は、額に入った江戸期の地図で、本丸に櫓が描かれ、ある方に聞いた通りの上山城は櫓が並び建つ城であったことを示すものとして納得した。庭に対し開いた上段の間からの景色がとても心地いい場所でとても気に入っていたが、明治以降に床の向きが逆転して庭に開かれた開口になったもの。床は城の方角にあるべきで、床の先にある道に対し開かれた窓などあり得ないと、説明してくれた難波さんの話に目からウロコの内容だった。
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