市神様は何処から?

この17日、18日と街道交流会議がここ上山で行われ、羽州街道沿いの各地域の関係者が一同に集まりちょっとしたイベントが行われた。沢庵禅師と上山の係わりの講演を聞いた翌日、郷土史研究会の高瀬陽吉さんの案内のもと、お城中心の堀、池と高楯城周辺の松山地区を中心に散策した。道案内のある散策は楽しい。増して高瀬さんは博学だ。きっと案内してくれるだろう松山地区は期待していた。今、十日町に鎮座する六角地蔵(市神さま)。これは、松山地区に市(いち)がたった時期にそこにあったものを譲り受けてきてあると言われる。今のお城以前は、市の西側、虚空蔵山の頂上に山城・高楯城が築かれ、その下の松山地区にまちができ、市もそこで開かれたということになろうか。
さて 案内された松山地区は旧国道13号で市街地から分断され、傾斜地の落着きある住宅地になっている。そして、そこで示された場所とは、旧道から1段下り、獣道のような道沿いの箇所を指された。「そんな~」。確かに並んで馬頭観音の石碑があり、建ちそうな場所であるが。
長い時間の経過が地区の様相を変えていくのは解るが。しかし、ミョーにシンパシイを覚えた場所だった。

最後にこの散策で見つけた路上物件
水を吐くカエル
2階の上から呼びかける看板文字
モダンなタイルのショーウィンドウ
湯の上観音の虹梁の左右の金剛力士の木彫
湯の上観音の瓢箪のある懸魚と龍の木彫(指定文化財?)
懐かしい板ガラス
資生堂のような手すり


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