内藤廣「あたまの現場」展

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昨年暮れに、この企画の案内がきていたので時間を見つけてギャラリー間へ向かった。これまでの主な仕事の模型と図面もあり密度の濃い展示だった。評価が高かったがアンピルトになった北陸のドームの模型や、現在進行形の静岡の体育館、市役所、大学の講堂、道の駅その他、計画案の数々。先に誌面等で掲載されてはいたが予想を超えてよかった。彼の建築に対する姿勢や出来上った建築への評価も含め多くの方々に支持を受けているのであえて言うべくもないが、しんどい世界で、彼が誠実にプロジェクトに向かった姿勢が読み取れた。建築のコードを業界の閉じた言語だけで表現しようとせず、いたずらに表現に終始することはなしに永く生きながらえ、そして逞しく感動を覚える建物を数多く創り続けてきた真っ正直な性格がそのまま投影されたものと感じた。そこを出て乃木坂近辺の著名な建築家のバブル期に設計した建物が目についた。竹山聖のOXY、鈴木了ニの物質試行、双方ともコンクリート打ち放しの建物だか、その時代を表しただけものになっているように感じた。

大学を卒業して2年後、ひょんな事から内藤氏が立ち上げた事務所に加わることになった。四名で始まった事務所は半年後には、内藤氏と私のふたりだけになった。そしてその後スタッフが補給さてすこしづつ体制が整い始めたがやはり、私が一番年下だった。その間、よく解らないまま現場監理へ。そして荻須宗徳記念館のコンペまとめ、石油会社本社ビルの計画案、六本木WAVE等のアングルパース、住宅プランとスタデイ模型、となりでは銕仙会の複合ビル、渋谷のギャラリーTOMの計画が始まっていた。仕事のできない私はいつも怒られ役だったが。あんなに楽しそうにプロジェクトを進める人と逢ったことはなかった。モノをつくる楽しさも詰めもここで体感したのかもしれないと。
そして彼は今、使命感を持って震災地の東北の地をも駆け巡る。


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